「顔なしインタビュー制限」に波紋……報道で匿名証言はどこまで信用できるのか
放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送人権委員会(三宅弘委員長)は9日、テレビ番組でインタビューを受ける人の顔を画面に出さない「顔なしインタビュー」を安易に放送しないよう各テレビ局に要望する委員長談話を公表した。
ぼかしやモザイクを施すなどした「顔なしインタビュー」が日常化していると指摘。発言の真実性を担保するため、検証可能な、顔を出した映像を確保する努力が大切だとしている。また、顔を出さない映像を使う場合、画面上で理由を注記することなどで、行き過ぎた社会の匿名化に注意を促すことができると提言している。
(読売新聞6月10日(火)8時24分配信)
僕自身、出版という世界に身を置いてきて、一番節操のないやり方の一つとして、匿名による証言はリスクが大きいと思っている。
証言の信用性と、視聴者や読者に与える信憑性が、問題の根っこにある。
やろうと思えばいくらでもねつ造が可能
えん罪事件が後を絶たない中で、メディア自らも、警察や検察に対し、取調べの可視化が必要とのキャンペーン展開をしてきた。
一方で、事件や企業の取材等においては、ソースを明かせない、匿名なら、顔なしで声を変えるなら証言するという人物がいるのも事実。
実名を開かせない取材対象の場合、紙媒体でよく使うのが、
「事情通」や「関係者」
といった言葉だ。
実はこれ、大変に便利な言葉で、
怠け者や期日までに仕上げられなかった取材活動を糊塗するために、
記者やジャーナリストのたぶんこういうことだろう、
といった「想像」による証言のねつ造が簡単にできてしまうということなのだ。
(実際に、自ら関係者を創作して記事を書いたという記者の話を僕は聞いたことがある)。
だからこそ、本来、「顔なしインタビュー」「事情通」「関係者」など、匿名証言には、慎重な判断が求められる。
特にテレビは、ネット全盛とはいえ、いまもなお大きな影響力をもっている。
人気の「報道ショー」などでは、
しょっちゅう綿密な取材に基づいた証言として、
声優を使った言葉のやり取り(たとえば与党内、政府内などでのやりとりを匿名にして語らせる手法)を普通に流しているし、
顔なしインタビューもすっかり定番化している。
情報ソースは明かせないのが取材の原理原則だが、だからきわどいニュースの場合、必ず裏を取るわけだ。
裏が取れなければ、どんなに貴重な顔なしインタビューだとしても、匿名の証言だとしても、使えないし、使わない。
それが報道の現場の理想だろう。
だから、新聞やテレビでは使えないけれど、
雑誌の場合、少々その規定がゆるいので、
新聞やテレビの記者が小遣い稼ぎに情報提供したりする。
(もちろん全部が全部、という意味ではないことをお断りしておく)
時に目の覚めるようなスクープ、
またある時には完全な誤報。
両極端ではあるけれど、それが可能なのは雑誌という媒体なればこそ、とも言える。
いずれにせよ、
いつも言うけれど、
誰が一番得をするのか、
損をするのか、
これらを考えながらニュースを読む癖をつけると、違った世界が見えてくると思う。