スガシカオはなぜ「CD買って!」とツイートしたのか?

スガシカオといえば、大の村上春樹ファンで有名だ

村上春樹自身も著書『意味がなければスイングはない』の中で、JPOPについて、かなり手厳しい批評を書いているのだけれど、スガシカオの音楽については高評価で、実に丁寧に、踏み込んでこんなふうに語っている。

以下引用する。

「スガシカオの音楽を初めて耳にしたとき、まず印象づけられたのは、そのメロディーラインの独自性だったと思う。 

彼のメロディーラインは、ほかの誰の作るメロディーラインとも異なっている。多少なりとも彼の音楽を聴き込んだ人ならおそらく、メロディーをひとしきり耳にすれば、「あ、これはスガシカオの曲だな」と視認(聴認)することができるはずだ。 

こういう distinctiveness(固有性)は音楽にとって大きな意味を持つはずだと僕は考える」

 

スガシカオの書く歌詞は、それとはちょっと違ったところで成立しているように、僕には感じられる。つまり「ま、こーゆーもんでしょ」みたいな、制度的なもたれかかり性が希薄であるということだ。 

だから僕のように、制度とは関係のない中立的な地点から耳を澄ましていても、基本的には、自立した公平なテキストとして、それを受け止めることができる。 

そういうのもまた僕にとっては、ありがたいことの一つである。もちろんなにも「スガシカオの書く歌詞はみんな素晴らしい」と言っているわけではない。 

曲によって出来不出来はむろんあるだろう。もうひとつぴんと来ない歌詞だってあるだろう。それは当然のことだ。ただ僕が言いたいのは、スガシカオの書く歌詞は、スガシカオの書く個人的作品として、ひとまず受容することができる」ということである。

 

ファンにとっては手あかのついた話だと思う。

それでも、好き嫌いは抜きにして、ノーベル文学賞の常連候補である世界的な作家にここまで書かれると言うのは、そうそうあるものではないので、改めて書かせていただいた。

 

僕も事情があって、最近はほとんど音楽に触れていないけれど、サザンオールスターズや桑田圭祐、ビートルズ、ジョン・レノンなんかは、大切にiPhoneの中にしまって、いつでも聞けるようにしている。

スガシカオの音楽は僕も好きだし、アップルのitunesでダウンロードしたことはあるけれど、CDまで買い求めたことはない(スガシカオさん、ごめんなさい)。

僕はあまり音楽に聡いほうではないので、スマップへの楽曲提供ではじめて彼の名前を知った。

スマップには申し訳ないけれど、やはりスガシカオが原曲歌うほうが、僕は圧倒的にいいと思う。

あの独特の歌詞とリズム感は、村上春樹が語るように、たしかにJPOPの中で異彩を放っている。

その昔、「売れる音楽の作り方にはすべて法則がある」と語って、空前の大ブームを巻き起こした小室哲哉は、本当に自分自身が作りたい曲、そうして作った曲は売れないし、認めてもらえない云々ということを、たしかテレビの「情熱大陸」出演時に語っていたのを思い出す。

スガシカオにはそういう感じが全然ない。

なんというか、音楽に対するおざなり感がないのだ。

いい曲だから売れる、というわけではない。

売れたからいい曲、というのも違う。

もちろん売れたほうがいいにいいに決まっているけれど、カルチャーというカテゴリーで考えたら、スガシカオのJPOPにおける立ち位置には妥協がないように僕には思える。

 

「CD買って」の背景にあること

 

ここからが本題である。

なぜスガシカオは新作CDを買ってとツイートしたのか。

 

「The Capital Tribune Japan」編集長の大和田崇さんがブログで書いていたのを見て、実はこのブログも書き始めたのだけれど、本当に音楽と出版という業界は似ていて、どちらも実は斜陽産業なのだ。

 

スガシカオさんが、シングル『アストライド』を発表したばかりなのですが、それに関連して「ダウンロードも嬉しいけどCDを買って欲しい」という発言をツイッターで行いました。

「ぶっちゃけ、ダウンロードでは制作費を確保することができず、次の作品のメドが立たない」というのがその理由です。(大和田さんのブログより引用)

 

かつて仕事をしたことのある、ユニバーサルミュージックの伝説的な経営者でもあるIさんが語っていた。

 

音楽のダウンロード販売が当たり前になって、流通する楽曲の質全体が低下し、しかも利益媒体としてのパッケージ(CD)が売れなくなって、経営を圧迫している。

プロデューサーには最低でも1000曲が頭に入ってないとだめだ。そうでなきゃ、「耳」ができないし、才能の発見も、いい曲の見分けもつかない。

やはりプロがつくる曲は、質が違う。一過性じゃなくて歌い継がれる。聞き継がれる。結果として長く売れ続けてミリオンになったりする。

さまざまなコラボや宣伝の仕掛けも、カネをかければいいって時代じゃない、と。

 

さすがに言うことが違うと関心したものだ。

 

CD販売は、アーティストの取り分が定価の2%(作詞作曲には別の著作権印税が加わる)、それ以外をレコード会社はじめ利害関係者で分け合う構造だ。

ところがダウンロード販売の場合、1曲250円で2曲売れたとしても、制作費を捻出できるほどの売上げが立たず、アーティストもレコード会社も、ぶっちゃけ赤字が多くなるということだ。

つまり、パッケージ(CD)で利益を確保するビジネスモデルはすでに崩壊しており、レコード会社もパッケージ以外でいかに収入をあげていくかが直近の課題なのだ。

AKBというのは、その意味でファンとの接点を至近距離でつくることにより、圧倒的にCDを売り上げるモデルを構築したということだ。今回の襲撃事件で、いささか事情は変わってくるだろうけれど。

 

出版と音楽業界、ビジネスモデル再構築が至上命題

 

出版の世界も、当サイトで何度か取り上げて来たけれど、事情は同じだ。

著者に支払われる印税は原則として上限10%。

最近は10%の印税すら難しくなっているのが現状だ(5〜8%がいまの相場かもしれない)。

 

製作原価でいえば、DTPやデザイン、紙、印刷、製本、輸送などの固定費、編集者や販促・営業の人件費など含めた、いわゆる原価率が、1冊あたり50%を切らないと商売にならない。

なぜなら50%を超える返品はすでに普通となりつつあり、大量部数を売り上げている本が、全体の返品率を結果として押し下げているだけだからだ。

しかも初版は3000〜5000部が相場で、8000部以上刷れる本は全体の1割にも満たないだろう。

 

さらに出版は書店の買い取り制度がなく(取次ベースで検討もされ始めているが、買い取り制度となれば初版部数はさらに減少する)、委託販売制度のため、売れなければ返品される。この返品コストに、大手中小問わず、出版業界はかつてない惨状をさらしているのだ。

 

一部の売れる著者以外、もはや「本で飯を食う」などという世界は存立し得ない。

文学賞をとった作家(特に純文学)に、編集者が必ず言う言葉がある。

 

「いまの仕事、絶対に辞めないでくださいね」

 

これは今も昔も変わらないけれど、食える人なんて一握りなんだから、ということをほのめかすどころか、明確に伝えているわけだ。

 

詳細はいずれ立ち上げる別サイトで語る予定でいるけれど、スガシカオの叫びは、そのまま業界の叫びであるのみならず、あらゆるカルチャーの担い手たちの叫びでもあるのだ。

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