東京八王子「らーめん れんげ」誕生秘話②
4月24日のオープン以来、多くのお客様にきていただいた、東京八王子の「らーめん れんげ」。
まさにスモール起業でスタートする、リアルビジネスの始まりだ。
本ブログでも予告していた通り、誕生の経緯を、兄という立場から改めてつづっておきたい。
すでに過去記事でも触れているが、弟と僕が以前の勤務先を辞めたのが、奇しくも同じ2月28日。
なにも時を合わせて辞めたわけでもなんでもない。
これがまた、二人の間では不思議としか言いようのない出来事で、まるで口裏を合わせたみたいにピッタンコ。どこまで呼吸あってんだよ、と電話口で笑い合ったのも、もう何年も前のような気がする。
弟が任されていた味噌らーめんで有名な「樽座」(八王子駅南口)を辞め、新しい店を出すまでにはいろんな出来事があった。
お人好しで通っている弟の、「疑う」より先に「信じる」ことを優先するその姿勢で、借金まみれになって苦しんだ弟のことを知っていたから、余計な心配をしたということもあるのだけれど、いま店を構えている店舗(以前は中華料理店で夫婦で経営)でほぼ決まり、という話を聞いた時から、僕の心配が始まった。
新しい店のスタッフは決まっているというし、横浜から通う夫婦が引退・閉店する中華店を居抜きで使うため条件も破格だという。
ところがふたを開けてみれば、厨房設備や排水施設などが酷い状態で、メンテナンスと備品の準備に想像以上の資金が必要だったのだ(次々に問題があることがわかったのは、店の引き渡しを受けてからことだ)。
一度は反対した。
慌てることはない。
自分の店として始める以上、徹底的に調べて準備して、あらゆる情報を吟味して開店すべきだ、と。
弟が決めてかかっていた店の場所は、八王子駅南口から徒歩5分とはいえ、駅前の人通り比べれば雲泥の差だ。訳が違う。
鶏白湯をメインメニューに、鶏メインのスープで、いままでにないらーめんで勝負するという。
八王子ラーメンと名のつくくらい、八王子には独特のラーメン文化があり、しかもあらゆる種類のラーメン屋が集中する激戦区だ。学生街ということもあるのだろう。
勝てるのか? 最初から負け戦になるんじゃないのか?
正直に言えば、弟は過去の失敗をまるで忘れて、優しげに言い寄って騙しにかかってくる連中にやられて大失敗をするのではないかという心配の波が、それこそ怒濤のように押し寄せてきていた。
石巻の両親も心配していた。それでも電話口で言うのはいつも、
「信じてっから。祈ってから。応援してやってけろ」
2月、弟と南口の喫茶店で会った。
いろいろ話し合った。
そのまえに、八王子南口でもダントツの集客のある、八王子ラーメン「タンタン」でラーメンをを食べ、行列の尽きない、昼間だけで100食以上を楽々と売り上げる人気店が、開店予定という店の近くにあることを確認。行きにくい場所にもかかわらず、これだけのお客がひきもきらないというのを目の当たりにして、場所は関係ないんだということはなんとなくわかった。
さらに、開店予定の中華店の休日ということもあり、外から店の中をのぞき、薄汚い印象に、居抜きでそのまま使えるとはとても思えないと、悪印象ばかりが先に立っていた。
コーヒーを飲みながら、話し合った。紹介してくれた不動産屋とも、徹底的に交渉しろと。
妥協するなと。
けれど弟は毅然と言った。
「おにいの言うことはわかった。きちんと交渉してみる。反対するのもわかるけど、こんないい条件でできる店なんて、これからいつ出てくるかわからないんだ。いままでもずっと探してきたんだ。勝負したいと思ってる」
石巻の友人たちと、弟は約束していた。
僕とも、果たさなければならない使命として約束していることがあった。
父と母にも宣言していた。
それが、3.11を経て、故郷へ恩返しするための、石巻への出店を果たすということだった。
僕は僕で、人生最大の苦境を迎えていた。
新たなビジネスと再就職を模索しながら、ネットスキルをひたすら学ぶ日々を過ごしていた。
電話があった。
「おにい、心配かけたけど決めたから」
「わかった」
と僕は応じた。
最大限の協力はする、と。
当初、3.11の開店を目指すと言っていたけれど、当然準備が間に合うはずはなかった。
頑固さでは僕の上をいく。それでいてお人好しで、なんでも引き受けて、最後の最後にババを引く。
僕も弟も、そんな人生に決着をつける時が来ていたのだ。
僕がひたすらネットスキルを学び続ける間に、弟は着々と開店へ向けて走りはじめていた。
地域の友人や知人たちが、汚れきった店の掃除を手伝ってくれたことは後から聞いた。
いろんな人たちが、弟のために協力してくれる。
人に恵まれている。
うん、最高の財産だ。
こういう人たちのためにも、絶対に成功させるんだ!
弟が新しい味のらーめんに行き詰まったとき、相談に乗ってくれたのは、弟のある意味盟友とも言うべき「樽座」の経営者・Yさんだったという。
失敗する可能性が高い、辞めたほうがいい、と慰留し、諌め、「樽座」を続けてほしいと言ってくれていたYさんが、最期は弟が開店する店の、しかも一番大切なメインの味を作る上で、行き詰まって悩んでいた時に、一番の、最高の助言者となってくれたのだった。
Yさんはかつて、弟とともに同じバイト先で知り合った仲間だ。
Yさんがラーメン屋を立ち上げるとき、弟に一緒にやらないかと声をかけてくれた友でもあった。
結果的にバイトを辞め、多店舗展開を目指すYさんが、弟に声をかけ、「樽座」で修行するかたわら、店を任せてくれたのだった。
その経験がなければ、いまの弟はない。
僕の親友で、シンガポールに居を移し、年商100億を目指してアジアでの商売も始めたT氏にも、商売の助言をしてもらう機会をもった。
「事業というのは、思い描いたもの以上にはならない。経営者として成功するためには、自らが決めて思い描く理想を着々と実現するために、先手を打って動いていくことが一番大切なんだ。一介のラーメン屋の親父としてやっていくなら、それはそれでいい。でも多店舗展開目指すなら、1年後、2年後の展開を今から考えていかないと、絶対にできない」
起業してから10年後も残っている会社は10%にも満たない。
年齢的にも、人生を賭けた、大勝負が始まるのだ。
どんな大企業も、最初は一人、あるいは数人から始まった。
ひたすら学び続け、人に会い、どん欲に挑戦し抜いていく。
「脳がちぎれるほどに考え抜いていく」
とは、過日、遂に営業利益1兆円を超えたソフトバンクグループのトップ孫正義の言葉だ。
そこにしか成功などないのだ。
目的は金持ちになることではない。大金持ちになることだ。
そしてあらゆるお世話になった人たちに恩返しをする。
それも最高にして、最大の、気持ちのこもった恩返しだ。
昼も夜もないような生活を7年つづけて、地域の方々や常連のお客を大切にしてきた弟の渾身の一杯を食したのは、開店前日のことだ。
それこそ地を這うようにして店を奇麗にし、麺を決め、スープを完成させる。
差別化された、オンリーワンのラーメンを目指す弟の祈りと思いが、伝わってきた。
泣けた。
これが弟が作ろうとしてきたらーめんなのか、と。
旨いとかまずいとか、ではない。
思いが、びんびん伝わってくる味だったのだ。
僕にできることは、店の掃除くらいだ。
あとはSNSを使った、ネットでの宣伝展開を開店前に準備すること。
もちろんボランティアだ。
苦労してきた弟の晴れの門出に、何かしてやりたい、ただそれだけだった。
ひたすらパソコンに向かって作業を続けた。ビジネスにおいてネットがいかに大切か。
これは今の時代の常識だ。
そこに出遅れている企業は、通信インフラを持たないキャリアと同じだ。
準備しています、など通用しない。
若者たちにかかわらず、ほとんどのリアル情報は、ネットで入手する時代なのだ。
先を見据えて、絶対に手を打たなければならない。
開店に合わせて既にネットでの発信ができる体制をつくっておくこと。
以前バイトしていた店でお世話になった店の経営者でもあったお姉さんが、弟の相棒として手伝ってくれているのも幸いだった。
お姉さんが見つけたという、いまはまだ企業秘密の、市場では手に入らない素晴らしい塩の入手もれんげのらーめんに深みを与えた。
普通の塩では、ここまでの味は出せなかっただろう。
ところが開店前夜、大事件が勃発した。
たまっていた疲れもあったろう。
塩の量を間違えて、翌日に出すスープが失敗してしまったのだ。
まさに危急存亡の一夜。
ノートを何度も見返しながら「おかしい、なんで間違えたんだ」つぶやく弟の後ろ姿。
そこからが、けれど弟の真骨頂だった。
だてに7年もラーメン屋をやっていなかったことが証明された。
完璧とはいえないけれど、奇跡の大逆転で、作り直しではない解決策を見つけ対処したのだ。
弟も、お姉さんも疲れきっていたけれど、それからほとんど徹夜の準備を続けたそうだ。
僕は1時頃に店を出て、この日は八王子のカプセルに一泊し翌日に備えた。
学生時代を過ごした第二の故郷とも言うべき八王子で、弟がついに独立する。
僕も実はほとんど眠れなかった。
心配と興奮と客が本当に来てくれるのかという恐怖心が頭の芯から離れなかったからだ。
翌朝、八王子駅北口の、大学へバスで通学する学生たちの大行列を眺めながら、富士そばでもりそばを食べた。南口へ抜け、開店前のれんげへ向かう。
いよいよだ。
いよいよ、弟の新しい人生のスタートの日。
次々と花も届きはじめた。
僕は最終チェックして、店の公式ツイッターと公式Facebookページを完成させ、前日に引き続き、開店のアナウンスを送信した。
忘れていたQRコードを急ぎ作って、近所のセブンイレブンで印刷。
店内に張り出し用と持ち帰り用を用意した。
しばらくして、弟がよくいくというスナックのマスターが一日協力するよ、とやって来てくれた。
なんというスタートだ。
前夜から感動しっぱなしの連続。
人のつながり。思いやり。最高だ!
開店前の最終試食で、
「よし、いける! 大丈夫だ! いくぞ!」
開店15分前にはお客が並び始めた。
一番目のお客が、ラーメンブロガーとして人気を誇るzatsuさんだった。
これもまた感動。鶏白湯という八王子ではめずらしいらーめん故に、注目して待ってくれていたようだ。
その後も次々とお客が入ってくる。
「いらっしゃいませー」
弟とお姉さんの声が何回も何回も響き渡る。
オープン初日。
お客の波。
スープも麺も売り切れるという盛況で幕を開けたスタート。
日中、心配しているであろう母に電話。
そんなつもりはなかったのに、嗚咽が漏れた。
電話口の向こうで母も泣いていた。
替わった父も、興奮気味だ。
涙が流れて止まらなかった。
ガキの頃、お菓子や料理づくりを趣味にしていた、あの弟が、
ついにここまでやってきたのだ。
長い、長い、長い道のりだった。
僕の知らない苦労もたくさんしてきたに違いない。
男になった弟が、いまはまだ小さいけれど、自分の城をもった大人の一人の男が、厨房に立っている。
ちらしを配ってくれたという弟の知人夫妻、後輩、ブログで先に配信していた僕の記事を見つけて来てくれたというご夫妻らを囲んで、店を閉め、最期は祝いのビールで乾杯だ。
最高の一日が終った。
弟の挑戦の日々が始まった。
zatsuさんもブログで最高の賛辞。
ほかのブロガーたちも来ていたようで、早速ネットでも初日から反応があった。
戦いはこれからだ。
まだ始まったばかり。
「人を大切にし、信じ続ける」その姿が、今までは弱さに見えた。
でもいまは、光り輝いて見える。
「らーめん れんげ」
公式ツイッター https://twitter.com/rengenooyaji
公式Facebookページ https://www.facebook.com/ramen.renge
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