2050年「全国の6割が人口半減、2割はゼロ」ってヤバくない?
2050年、全国で人口半減する地域が6割以上、という衝撃的な記事(読売新聞)を見つけた。
これってかなりやばい。
記事の表現で気になるのは「人が住んでいる地域で」というなんとも微妙な言い回し。
国土交通省の調査ということだが、その調査方法含めて、どこまで説得力のあるデータなのかは、記事を読んだだけではわからないけれど。
東北の被災地では、復興費用3兆円の使い道で、そこに住む住民と自治体の復興計画との意識のズレが表面化し、自治体側の説明不足や、当初計画の遅れ、コミュニケーション不足などによって、住民の意向が反映されないことに業を煮やした住民達が、思い出のつまった故郷をあきらめて離れる人が多い。
もちろん仕事の有無や収入の問題もおおきいけれど、いま被災地で起こっている人口減少問題と同じ問題が、全国の6割の地域で起こる可能性を示唆している識者も増えている。
マクロの経済の話で言えば、GDPは大幅に落ち込み、超高齢化社会で内需は急速にしぼみ始め、人口が増え続けるアジアやアフリカなどに活路を求めない限り、企業だって完全に立ち行かなくなるってことだ。
以前からずっと言われていることなんだけれど。
出生率を考えても、超高齢化の人口減少社会になること、これはすでにはっきりしてるわけだ。
国立社会保障・人口問題研究所によると、2060年の日本の人口は約8670万人、65歳以上の人口がその4割になるというデータもある。
安閑としてたら、日本はただの貧乏国家となって、投資も人も集まらない、企業はみんな海外へ出て行き雇用も奪われ、まっとうな収入と仕事もない、ゴーストタウンラッシュが訪れること必然だ。
2050年といったら、いまから35年後。
かなりリアルな、想像のできる近未来だ。
ネットの登場で、ドッグイヤー(1年がかつての7年分に相当する時間の流れ)はさらに加速度を増し、超合理的で超効率的なシステムや社会保障が整備されて、スゴい国家になってる可能性もゼロとは言えない。
これは感覚的な話だけれど、まあそんなスゴい国家に日本がなるなんて、ありえへん世界、だと僕は思う。
ネットスキルの重要性は高まりこそすれ低下することなんて、もうないだろう。
スマホが当たり前の時代に生まれてきた世代の、かつてない世界を救う大発明もないとは言えないけれど、そんなことに期待するなんて、愚の骨頂だし。
逆ばりで行けば、人口減少でも豊かな暮らしや人生が送れる国家モデルをつくる、実は好機でもあるととらえるのが、ポジティブな方向性だと思う。
でも、それじゃ僕たちはどうすればいい?
今という時代を懸命に生きる。
会社に頼らずとも個人でも稼ぐ力をもつこと。
企業や団体よりも、個性満開で輝いている個人がどんどん増えていくこと。
新たな芸術や文化も、歴史を見ればわかるとおり、資本力のあるパトロンなしでは生まれなかった。
どこまでいっても人は一人である。
一人一人が力を持つこと。
マジな一人が、圧倒的な力を持つために生きること。
そんな力ある個人が集まってできることの可能性。
いま、僕にできることは、力を持った個人となるために、
何ができるかを自身に問うだけでなく、
そのための具体的な行動を起こすことだ。
スティーブ・ジョブズが恐れたのは「ライバル企業ではなく、ガレージで何かを始めようと行動を開始している」人間だ。
どこまでできるかなんてもちろんわからない。
でも行動するしかないよね。