48歳からのハローワーク——「何か」を始めるということ

長年、出版社で働いてきて、シリーズプロジェクトや大型企画、その他大小さまざまな企画など、思い返すと自分でも驚くほどの広範なジャンルで、すさまじい数の出版物の編集に携わってきたことに、最近改めていろいろと思うことがある。

職を失うということ。
当たり前のことだけれど、収入がなくなることと同義だ。
僕の場合は、ローンの返済などいろいろあって退職金は無きに等しい。
まさに稼ぐことが喫緊の課題なのだ。

採用(新卒も中途も)の現場で面接をしたこともあるので、メディアの世界の事情は、他社のことも含めてよく知っている。
私の年で、たとえどんなにキャリアがあろうと、未曾有の出版不況の中で採用されることなど稀だ。

とある大手出版社が、大量のリストラで社員の平均年収を約300万以上も低下させ(それでも大大手出版の年収は、一般サラリーマンから見れば十分に高いのだが…)、業界ではちょっとしたニュースになった。克明なリストラ日記をブログで公開した方もいて、本にまでなった。
本のほうは売れたとは寡聞にして聞かないが、この出来事が意味することは、出版業界では実は大小問わずリストラが行われ、唯一の投資対象とも言える人的資源への投資さえままならないほどの状況になっているということだ。

とある大手出版社の女性誌の副編集長と一杯やっていたとき、しみじみと彼はこう言った。
「うちの名だたる女性誌で黒字なんて一誌だけ。あとは億単位の赤字だよ」
「なんで成立してるの、それで?」と聞くと、
「うちはドル箱の漫画あるからね。新卒採用はすべてそっちにまわすべきだと思う。もうネットにとってかわるっていうか、出版含めて広告で成立してきたビジネスモデルは、完全に崩壊したよね」

いろいろあって僕も退社したが、ネットを中心にした情報発信の劇的な革命を、業界として馬鹿にしていたきらいがあったことは間違いない。
かくいう僕自身もそうだった。

働き方そのものに革命を起こしたSNSの勃興。
テレビや新聞、既存の広告代理店も「終わりの始まり」が始まったと言う人が、ずいぶん前から警鐘を鳴らしている。
大手中小問わず、営業利益(本業の利益)はほとんどの出版社が赤字体質だ。
それが長期間にわたって変化していないどころか、業界全体で2兆円はあった売上高の右肩下がりがまったく止まっていない。

そのくらい深刻な状況で、属していた自社のやり方に、業界への未来に希望を見いだせなくなった。

個別の版元の、さまざまな事情はもちろんあるだろうし、紙媒体そのものがなくなることも当面はないだろう。アップルが起こした業界の本命と目されたイノベーション(iPad)が業界にもうねりを起こすと思われたが、電子書籍も思ったほど伸びてはいないし、いまのところそれは幻想の域を出ていない。

でも、守るべき大切な者たちのために、新たな挑戦を始めなければ、僕の人生は、それこそ業界と同じように「終わりの始まり」へと向かっていってしまう。

48歳からのハローワーク。
ネットを中心にしたスモールビジネスでの起業か。
限界までの就活によるぎりぎりの生活維持のための会社探しか。

僕の中ですでに答えは出ている。あとは時間配分の問題だ。
やりたいことは山のようにある。
出身地である被災地のためにも何もできていない。
編集スキルはあっても、安定した収入がままならない。
まずは生活をつないでいくこと。

そして、マイメディアを構築し、真剣に稼ぐための新たなスキルを学ぶこと。

奇しくも、実弟も2月末で雇われのラーメン店店長をやめ、独立を決意。
4月オープンに向けて走り出した。

みなを幸せにする。
夢は叶えるためにある。

いまはひたすら学び抜こうと思う。
学びのプロセスも書いていきたい。

次回予告!
丸3年を迎える東日本震災。3.11。
1週間後に宮城県石巻に入った、僕が見たすべてを、テレビでは決してわからない本当のことを、記録という意味も含めて書きたいと思う。

“48歳からのハローワーク——「何か」を始めるということ” への2件のフィードバック

  1. Duncan Bertoldo より:

    Awesome article.|

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