毎日水を3リットル飲み続けると若返る!?……「裏を取る」ということ

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出典:livedoor.blogimg.jp

今話題の記事だが、毎日水を3リットル飲み続けた女性のビフォア・アフター。

本当っすか?

この情報、裏取れます?!

裏を取る。
これはジャーナリズムの常識だ。
けれど、「裏を取る」という行動の実際は、入手した情報の「確からしさ」を、それぞれの取材者の人脈の中で、最も正しい情報を持っていると信用する人物に確認をとる。
できれば複数のソースに。
そういう確認作業だ。
けれど、僕の知る限り、実際に起こった事実の確認の決定的な裏を取ることなどほぼ不可能に近い。
確からしさの確率の問題でしかない。
それをはっきりと標榜してやるのなら、まだ許せる。
ちなみに僕はかつてある事案で決定的な裏を取ったことがある。
けれどそれがある特定の世界に漏れたときに、
僕は完全に干された。
本当のことを知りすぎるとろくなことはない。
災いは口より出てて身を破る、のだ。
正しい情報だとしても。
実はこんなことは、メディアの世界では日常茶飯に起きている。
僕が許せないのは、間違いない(らしい)という、ウソか本当か分からない情報を売りにして、商売しているメディアのしらじらしさだ。
ネットの情報をさんざんにバカにしてきた既存のメディアは、その影響力を、完全にネットにとって代わられた。
ネットなんて、ニュースのコピペが主流であるにもかかわらず、と、ちょっと前まで思っていた僕は、あまりにも愚かだった。
ほとんどのジャーナリズムは、テレビを筆頭に、新聞も、週刊誌も、月刊誌も、現実的な裏を取れないまま、情報(噂)を垂れ流す。
情報番組はバラエティ番組と化して、ニュースを面白く見せることに血道を上げる。
新聞は、週刊誌の情報の流し方をうらやましがる。
なぜか。
世間的にも、新聞の体制的にも、週刊誌的な「裏の取れていない」情報を流すことで、正確な情報発信メディアとしての信用を失うことを恐れているからだ。週刊誌の記者は裏が取れたというけれど、新聞的にはそうではないのだ。
あるメジャー新聞の記者が僕に語ったことがある。
「夢も希望もないよ、ジャーナリズムには。書きたいことを書いたらクビか閑職に追いやられるのがオチだ」
一方で週刊誌は話題性がすべてだ。
ある有名週刊誌の某編集長は、
「訴訟起こされてなんぼの世界」
と言い切った。
書いたもん勝ちの世界。それが出版ジャーナリズムの実際だ。
すべてがウソとは言わない。
でも本質はここにある。
売れるか売れないか、そこが商業ジャーナリズム、僕の専門分野でもある出版ビジネスの、ある意味すべてだ。
ほかのビジネスと、その点において価値など何も変わらない。
広告なしで成立する商業メディアなど存在しない。
したとしても、世間に対する情報発信力はほとんどない。
ファッションや飲食や物販など、リアルビジネスも粗利が薄い。
そこに関連するメディアも、誇張がデカすぎる。
ファイナンスも同様だ。
既存メディアの影響力の低下はあまりにも著しい。
そこに比例して、人々は誤った常識を押し付けられてきた。
いまもっとも影響力のあるメディア。
それはSNSという、個人を中心としたネットワークだ。
メディアよりも、信頼する友人の言葉のほうを信用するというカルチャーをバカにするのはたやすいが、それをもたらした既存メディアの功罪こそ、本来断罪されるべきだ。
次回は出版ビジネスの没落とそのソリューションについて、
「稼ぐ」というキーワードを軸に私見を述べる。
個人を中心としたスモールビジネスが世界を席巻する時代が目の前にあることを知った上で世界を見て行くと、まるで異なる世界が見えてくる。
なんであれ、人は不幸になるために生きているのではない。
幸福になるために生きている。
もちろん、価値観は人それぞれだろうけれど。
マネタイズをバカにする世評とは一線を画す、個人が力を持てる時代。
ここにフォーカスしつつ、
次回以降、会社という組織から離れた視点で、業界のタブーにも触れながら、遠慮なく書かせていただくことにする。

 

 

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