「3.11を忘れない」⑤……メディアが決して報じない被災地の真実

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メディアが決して報じない被災地の真実

あれから3年、毎年この時期になると3.11に関するさまざまな番組が放送される。
号外でも紹介した、NHKの番組で取材を受け放送された僕の友人家族は、放送ぎりぎりで編集の都合で番組の内容が変わると報告を受けショックを受けたと報告があった。

 

メディアは、平気で被災者の思いを踏みにじる。
取材、番組の構成の都合という名目で。

 

父も母も無事だった僕は、親や兄弟、家を失った友人、知人たちに対して、いまも罪悪感が消えない。

 

もし僕が津波の現場にいてどんな行動をとれたか、生活の現場としての被災地で、果たして何ができただろうかという、同じ被災地出身でも共有しきれない思いが、3年経った今もたしかにある。

 

生き残った両親や親戚、亡くなった友人の親、幼少の頃から世話になっていた人たちの死といまだ行方不明の人がいるという現実。

 

善悪でも、幸不幸でも、運不運でもない、大きな傷跡をそれぞれの人々の心に残したまま、まるでえぐられた山のように、記憶は消えず、永遠に残り続ける。

 

震災直後の実家近所の人々との非常時の連帯感。

 

子どもを失った人、親を失った子ども、家族のなかで一人だけ生き残った人、生まれてからのすべての記録が失われた人々、奇跡的に助かった人、電柱や木の上で一昼夜を過ごした友人、焼けた車の中で遺骨となった母と対面した友人、実家から遠く離れた場所で見つかった病床の母をいまだに助けられなかった苦悩に苦しむ友人、住む場所も、家の修復も、いっこうに進められず故郷を離れる人々、それでも地元に残ると決めて生きる仮設に住む方々。

 

一方で、直後に入った石巻で僕が目撃した中でいまさらだけれど記しておきたいことがある。
目にした事実そのままで言う。

 

大街道地区一帯では、コンビニ、スーパー、酒屋、倉庫など、飲食物があるすべての店舗が窓を割られ、そのすべてが奪われた。ごく普通の住民たちによって。

 

壊滅した南浜、門脇地区では、札束や宝石など金品目当ての非常識きわまりない連中が跋扈していたのが目撃されている。
仕事で訪れた取材先の被災地でも、このことは繰り返し、いろいろな人々から聞かされた。

 

気仙沼信用金庫で奪われた数千万円の行方など、状況からして調べようもない。
ほかにも、多くの被災者から、さまざまな実態を僕は聞いている。

 

非常事態における人間の行動は、生存本能が最優先される。
善し悪しではない。

 

人それぞれにおける生き様が、こんな時にすべて現れるのだ。

 

メディアは、真実を伝えているようで何も伝えていないに等しい。
通り一遍の感動を強制するかのような映像だけで、震災を語ってはいけない。

 

青森では、震災当日からの停電のために、暖房が効かず凍死した高齢者がいるという話を聞いた。

 

ある被災地で生き残った人が、車で逃げる途中、何人もの人を轢いてしまったという話も聞いた。

 

波に飲み込まれ、誰かにつかまれた肩の手を振りほどいて、必死で助かろうとして生き残った人の話も聞いた。

 

許しがたい怒り、ではない。
人の業としか思えないような情景が、波が押し寄せたあの時、あちこちで繰り広げられていたのだ。

 

胸の奥でくすぶり続ける、いくら消そうとしても消すことのできない火種。

 

取材で訪れた陸前高田の惨状、そこから沿岸部に沿ってひたすら目撃し続けた、気仙沼、雄勝、女川、大川 小学校、仙台の若林地区、福島のいわき…。

 

自然の恐るべき力による災害から逃れるすべはない。

 

でも被害を最小限にするための情報の共有と、いざというときに生きるふだんからのコミュニケーションは、今からでも準備はできる。

 

比較的早かったネット環境の復活による時々刻々の情報の更新は、そのかすかな光でもある。

一人一人がすべて異なる経験と事情をもち、いまもなお、PTSDで苦しみ、生き残ったことで自分を責め続ける人たちがいる。

 

個の生きる力を、根っこから奪い去った3.11。

 

忘れることも大切という人もいるけれど、当事者にとって、この震災を忘れることなど自死するのと変わらない。

 

平気で「がんばって」と、いう人の気も知れない。

 

当事者同士にしか通用しないコミュニケーションもあるし、外から見て簡単に言えない言葉もあるということを、もっと情報共有できないものかと切に思う。

 

だいたい、どうがんばれというのだ。
みな生きることで精一杯の人に対して「がんばれ」など失礼きわまりない。

 

「がんばろう! 石巻」

 

世界的に有名になったあの看板は、あの場所で店をもっていた一人の青年が、自らの思いで、自らの店兼住居の跡地に、彼自らの思いとしてつくったものだ。
彼が語りかける「がんばろう」は、奇跡的に助かった自らの命と、故郷への感謝と、同じ故郷を生きる友への励ましだ。

 

いずれ、自身のことも含めて、個々の人たちのこともレポートしたい気持ちはある。
約束はできないけれど。

 

十分に僕も傷ついた。現実をきちんと受け入れるためにはまだいくらか時間がかかるような気がする。

 

3.11から、ひたすら被災地のために働き続けた自衛隊、ボランティア、数多の無辜の民の真心の行動に感謝しつつ、本当の復興への道のりに、個が乗り越える壁は、いまだあまりにも高すぎる。

 

高ければ高いほどその壁をよじのぼり、破壊すべき壁を破壊して、もてるすべてのスキルを、いま学んでいるITスキルのすべてをかけて、地元への恩返しを果たす道を模索し続けている。

 

失われたすべての命のために。
破壊された青春の思い出の故郷のために。
なんとしても。

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