3.11を忘れない ④……廃墟の故郷と両親との再会

廃墟の故郷と両親との再会

前日の居酒屋の女将の助言に従い、16日、陽光が射しはじめた午前10時頃、天童のビジネスホテルを出発した。高速が使えない以上、仙台へ入るに唯一の峠道しかなく、道路凍結のリスクを考えてのことだった。

 

時間のことはもうよく覚えていない。

 

こけしで有名な鳴子温泉を過ぎて仙台に入り、ニュースで見たような被害が市内にほとんどないことを確認し安堵。

 

仙台も同じくスタンドはどこも行列状態。
補給は無理と判断し、道路状況を知りたくて、開いていたカー用品の店で石巻への道について店員に尋ねた。

「こちらもほとんど情報なくてあれなんですけど、高速は完全にだめで、下の道もあちこち寸断されてるみたいです…」

そりゃそうだ。

自分たちのことで精一杯なのに、1週間後の地域の情報など、まともに持っているほうがおかしい。

ネットでも、迂回路以外はいる道はないとあったのだ。

 

ナビで高速を外し、とにかく下の道を行けるところまで行こうと出発した。
コンビニでも食べ物は品薄で、これじゃ、陸の孤島・石巻じゃ話にならないことは目に見えていた。

 

それから数時間、迷いまくりながらも夕刻16時ころ、石巻に入った。

 

途中の風景については触れない。
いや、いまでもまだ、その詳細について触れることが僕にはできない。

 

ただこれだけは言える。
戦後の焼け野原を想像してみてほしい。
まさに「第三の戦後」と評した人がいたが、無差別爆撃を受けて何もかもが破壊されている状況を思い浮かべればいい。
ハンドルを握りながら涙があふれて仕方がなかった。
横倒しになったタンクローリーや、あらゆる種類の車が家々に突っ込み、変形し、道を塞ぎ、敗残兵のように汚れた服装で、疲れきった人々が、食べものや水を求めてさまよい歩いていた。

 

これが、これが、これが、僕の故郷…。

 

いったい何人が亡くなったんだ。
どんな思いで波に飲み込まれて行ったんだ。
かつて知ったる故郷が圧倒的な自然の力によって破壊され尽くした情景。

 

下の道でも2時間もかからない仙台から石巻への道のりを、その倍の時間をかけてたどり着いた実家。

 

車を降りるとぐちゅぐちゅとした異様な匂いを発する汚泥があらゆる地面を覆っていた。
どこもかしこも、津波による破壊の痕跡だらけ。目の前の小さな公園や向かいの家にはひっくり返った車やがれきに覆われている。

 

実家の小さな門をくぐった。

 

エンジン音で気づいた両親が、泥だらけの廃屋と化した玄関で僕を待っていた。

「ただいま。来たよ」

「おかえり、よく来たね、大変だったね、ありがとうね、本当にありがとうね」

 

お袋とハグした。続けて無言の父とハグした。
記憶にある限り、生まれて初めての、親とのハグだった。

 

涙があふれて仕方がなかった。
無事でいてくれた。

 

それだけで表現しようのない感情のうねりが涙となって溢れ出た。

 

 

コメントを残す

サブコンテンツ

PR

スキマ時間はゲームで楽しもう
Yahoo!モバゲーに今すぐ登録!

このページの先頭へ