3.11を忘れない①……故郷を破壊された者としての記憶、そして記録
故郷を破壊された者としての記憶、そして記録
2011年3月11日。
僕は高校までを過ごした故郷を失った。
震災で名を知られることになった石巻市立門脇小学校4年生の夏から高校卒業まで、生活のすべてがあった大切な町。
生まれは宮城県桃生郡矢本町。父の転勤で石川県小松へ。
3歳のころだったという。
そして小4で、またもや父の転勤と母の都合も合って、石巻へ。
転校先の門脇小学校に、転校初日裸足で行ったことで、僕はちょっとした有名人になった。
要は、北陸の関西っぽい訛のある僕が、初日裸足で現れたのだ。目立ったわけだ。
それから、中学、高校と石巻で過ごし、門脇小の同窓の友たちが大勢住むひなびた田舎町が僕の少年時代の故郷の思い出のすべてを占めている。
南浜町。テレビでは門脇、南浜地区とさんざんに報道されたその場所だ。
当日、テレビで見て僕は嗚咽をこらえられなかった。
親父もお袋も、これで生きてるわけがない。
なぜ、どうして、こんなことに…。
まだなんも親孝行してないよ。
なんでだよ…。
親だけじゃない。いろんな友人や可愛がってくれたおじさんやおばさんの顔が浮かんで、そして消えた。
なにもかも、僕のアイデンティティを形成してきたすべてを、友を、友の家を、知人を、遊び場所を、思い出のすべての場所が消えてなくなった。
フジテレビのアナウンサーが翌日、ヘリで石巻上空を飛んでいたときの「石巻壊滅です、壊滅です」といったあの言葉を僕は生涯忘れないだろう。